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【経済政策学科】基礎演習2 登り山ゼミの地域企業調査報告

2018年8月01日 (水曜日) 18:33 | 投稿者:【nwuadmin

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ゼミ活動をご紹介します。
6月28日(木)午後、経済政策学科2年生の登り山ゼミに所属する13名が、大村市にあるチョーコー醤油株式会社 紫芳遊苑(醤油工場)を訪れ、工場見学および事前調査に基づいたインタビュー活動を行いました。
ご説明、質疑応答は同社海外事業課の程継中課長から、同社の海外事業展開や地元企業で就労することの意義、学生時代に学んでおきたいこと等について、丁寧にわかりやすくご紹介を頂きました。
このような貴重な機会をご提供頂き、誠に有難うございました。

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 学生の感想文をご覧ください。

 チョーコー醤油の会社見学に参加しました。醤油の作り方や歴史、従業員の方の話などを見聞きして、当たり前のように使う醤油について知識を身につけることができました。小学校の頃にチョーコー醤油さんへ見学・質問をしに行っていたので、改めて来ると当時気づかなかったことや初めて知ったことなどもあり、勉強になることばかりでした。
 資料館を見学して、昔の作業工程、瓶や看板、作業道具など見て回り、とても興味を惹かれました。特に、チョーコー社の海外進出についてのお話にたいへん興味を持ちました。講義で聞く「日本企業の海外展開」が、私たちのよく知る会社で、実際にどのようなことが行われているのかを学ぶことができました。
 このようにウエ大の活動では講義形式だけではなく、普段なかなか体験することができないような貴重な体験も多くあり、今日の活動は、遠くない将来の進路選択の一助になると思います。
(経済政策学科2年 宮崎 滉稀)



里山マーケティング・里山の自然と文化から学ぶ価値づくり

2010年11月25日 (木曜日) 21:14 | 投稿者:【community

 高校生や大学生の皆さんは、「里山」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?「里山」とは、読んで字のごとく「里」と「山」、すなわち、かつて私たちの身近にあった「田畑・ため池・山林・草地」など、集落とその周りの森林、農地などで構成される地域のことです。

 環境省は、近年、「里地里山」という言葉を用いていますが、江戸時代から使用された「里山」という言葉の方が私たちには一般的でしょう。

 今回は、コミュニティサービス受講の1年生と自主参加の学生とで、前回の地域実習でお世話になった市民グループ「四季美」のメンバーの方に式見地区の「里山」を案内していただき、すでに経済的価値を失ってしまったと考えられている「里山」にどのような「価値」を見出して、今の時代にあった「価値づくり」ができるのかを考察する散策へと出掛けました。

 
(イノシシに遭遇した時の対処方法の説明を受け、山に入ります。)

 

「里山」は、人の手が全く入っていないありのままの「原生自然」ではありません。長い間、薪や肥料、日々の生活に必要なものを「里山」から得るために人が自然の中に分け入り、手を加えることによって、逆に自然環境を豊かに保持し「里山」の生物多様性を維持してきました。

 しかし、時代の変化に伴い、人の手が入らなくなった「里山」は、開発の対象となって造成されるか、放置され、本来のその姿を急速に失いました。

 40〜50年前に植林されたこのヒノキの森は、間伐がうまく行われなかったために立ち枯れを起こしているそうです。


 
(上を見上げると、うっそうと覆い茂るヒノキの木々)


 最近は国産の杉やヒノキの価値が見直されるようになってきましたが、価格の安い輸入材におされ、林業の衰退とともに間伐が行われず、良質の杉やヒノキが成長しない状態にあるそうです。
     
(ところどころ伐採した跡もありますが、ヒノキは白くなって立ち枯れ状態に・・・)

 土壌は落葉が堆積していて、やわらかく歩きやすい状態でした。モグラがかき出した土塚も多く見つけました。
 

 ヒノキの森をぬけ、しばらく歩くと「つわぶき」の花が群生している場所に着きました。「つわぶき」はキク科の多年生植物。この場所は適度に間伐され、日光が地表に差し込むので、あたり一面、「つわぶきの花の海」です。


 


 
(思わず記念撮影。でもイノシシの群れが通る場所らしいので早く先に進みましょう!!)

 間伐された木々は、下の写真のように積み上げられ必要に応じて利用します。

ここは、山の水が湧き出している場所です。
 


この水は、農業用水として田に使います。伐採して切り開いた場所には、棚田がありました。
 

 田にイノシシが泥あびする場所である「沼田場(ぬたば)」を残しておくことで、イノシシが田を荒らす被害を減らすことができるそうです。
 


(イノシシの足跡を発見!!)

 それでも田に被害があるので、電気柵で田を囲みイノシシを寄せ付けない工夫がしてありました。一説によると「苦しみもがく」という意味の「のたうちまわる」という言葉は、「沼田(ぬた)うちまわる」からきているとか・・・。
 

 これは、山の中や棚田で作業するための道具を置いておく小屋です。これも手作りだそうです。
 


(えッ、中村さん、お気に入りの場所になったの?)

 さて、ここで高校生や大学生の皆さんは、「里山の木々を伐採したり間伐すれば、木がなくなり、かえって里山の自然が失われてしまうのでは?」と疑問に思った人はいませんか?

 下の写真は、切り株から出てきた新芽、「ひこばえ」です。この「ひこばえ」が新しい森を作っていきます。切り株を残して、どの木を伐採し、どこを間伐すれば自然が保たれるのか、里山へ分け入る人は経験的に知っています。

 よく見ると、一つの切り株から「ひこばえ」が成長して大きな木々に成長したものや多様な種類の木々が共生している姿が見受けられます。これも人の手が入ったからこそ保たれている自然です。
   
(ドングリやマツボックリなどの多様な木々の実は、里山の動物を育む森の食料です。)

 棚田の中の切り株は、取り除いてしまいますが、棚田からも多くの小動物や昆虫が生まれてきます。里山には、その地域で人と自然が長い時間をかけて共生してきた知恵が詰まっており、里山を支えてきた技術や社会のあり方、地域資源として活用する考え方が、学生にとって地域や他分野への「価値づくり」のヒントにつながります。
 

 約2時間、里山の中を散策した後は、里山で採取した姫椿の種から油をしぼる恒例の「姫椿油しぼり体験」です。

 今回も学生たちが、姫椿の種を杵でついて「姫椿油しぼり体験」イベントの手伝いを行いました。
       


   


 学生は、「この姫椿の油を市場へ流通させるために必要なことは何か? 里山の文化的、経済的価値づくりはどのように捉えて創っていけばいいのか?」などを考えながら作業を手伝いました。
 

 今回、散策した式見の里山周辺の地域では、里山の自然に働きかけ、その恵みを見直し、新たに文化的、経済的価値を見出して次世代へ伝えていこうとする人たちの取り組みが始まっていました・・・。



前回の地域実習は、コチラ
NHK映像詩「里山」のHPは、コチラ

(まちづくり探検隊 藤崎)

私の町を”まち探”・南有馬町

2009年10月15日 (木曜日) 22:28 | 投稿者:【community

 地域づくり学科の鈴木教授とモンゴルからの留学生薩日娜(サリナ)、そして私、村田とで南島原市南有馬町を「まちづくり探検」してきました。南有馬町は私の地元です。私が案内役として二人を案内しました。

 最初に南島原市南有馬庁舎を訪れました。庁舎は、原城をイメージして造られているので城の形になっています。
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(後ろにあるのが庁舎)

 庁舎の方に南有馬の観光スポットを尋ねたり、南島原や南有馬のガイドブックやリーフレットをいただきました。そしてこれをもとに私が知っている場所を中心に観光資源を探し出す散策を始めました。

(長崎県南島原市観光リーフレット)

 南有馬と聞いて有名な場所は原城跡です。ここは約370年前の島原の乱で、天草四郎を総大将に農民ら3万人余りが立てこもった城跡です。天草四郎の像や墓碑などがあります。歴史好きな人や年配の方がよく訪れるのを目にします。春になると、桜の花でいっぱいになりとてもきれいです。毎年4月には原城一揆まつりが行われます。
  

  

 原城温泉真砂で昼食に島原手延べそうめんを食べました。島原手延べそうめんは300余年の歴史を誇るこの土地の逸品です。改めておいしいと思いました。海を見ながら食べるとよりおいしく感じました。

 温泉もあり、宿泊も出来るので泊りがけでゆっくり観光をすることができます。昼食を終えて海岸に行きましたが、じっくり見てみると水は透き通っており遠くの方は真っ青でこんなに綺麗だったんだと思いました。
  

 原城文化センターは原城の発掘調査で出土した十字架、ロザリオなどの遺物や島原の乱の犠牲者となった人骨が埋まっているレプリカが展示されています。
 

 西望公園は、長崎市の平和公園に建つ「平和祈念像」をはじめ、日本を代表する数々の彫刻を残した北村西望先生の作品が園内に12点、記念館内にも先生の作品である彫刻や書などが展示されています。残念ながら今回は休館日だったので中には入れませんでした。
  
(西望先生の作品と生家)


 自分の地元を案内するちょっとした散策でしたが、私は何もないと思っていたので最初、二人にどこを案内すればいいのかと戸惑いました。しかし、この土地に住んでいない二人(外部者)は「景色が奇麗」「食べ物がおいしい」「民家一つ一つにしても瓦にしゃちほこ、石垣、家が大きく立派である」と言って散策を楽しんでいました。

 この場所で生まれ育った私にはあまりにも当たり前のことばかりで、二人がその当たり前のことに対して驚いたり楽しそうにしている様子を見て私はなんだか嬉しく思いました。


 観光資源というものは身近すぎて、そこに住んでいる人(内部者)は気づかないようです。まだまだ私の気付かないたくさんの観光資源がここにはあり、散策すればするほど新たな発見があるのではないかと思います。眠っている観光資源もあるかもしれません。それを見つけ出し、活用すればさらに魅力ある町、一度は訪れたくなる町になるのではないでしょうか。そう考えるとまちづくりは奥が深く、またおもしろいものだと改めて感じた一日でした。

(地域づくり学科2年 村田理沙)


まち探・村の文化力と農村舞台を訪ねて

2009年8月04日 (火曜日) 19:01 | 投稿者:【community

 今回のまちづくり探検隊は「文楽の里」、熊本県上益城郡山都町(旧清和村)の清和文楽邑(せいわぶんらくむら)を訪ねました。

 文楽とは、「太夫」の語りと「三味線」の伴奏、「人形」とが一体となった人形浄瑠璃のことです。

 江戸時代、この地を訪れた阿波の人形一座から当時の村人たちが浄瑠璃を習い覚え、清和文楽として神社に奉納しながら今日まで伝承してきました。一時期、廃れた時代もあったそうですが、現在は熊本県の重要無形文化財に指定されています。

 カナダ留学の経験から日本文化について研究している4年生の内野さんと、地域福祉の視点からサービス・ラーニングを研究している同じく4年生の田中くんに「清和文楽邑」を散策してもらいました。
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 まず、清和文楽に関する知識をつけようと2人が最初に踏み込んだのは、清和文楽の歴史や人形のことを学ぶことができる「展示棟」です。しばらくここで文楽について学びました。

(歴史や人形だけでなく2人が見上げた先の展示棟の天井は、日本建築の技術の粋を結集させた珍しいバット工法による造りです。)

 そして、上演時間よりも早めに「清和文楽館」の劇場の中へ・・・。劇場の天井もまた、テコの原理を応用した「騎馬戦組み手工法」という珍しい建築工法で木の温もりや美しさを感じることができる造りになっていました。


 この劇場で農家の人たちが農作業の合間に年間230回もの文楽を上演し、全国から3万人もの老若男女が文楽を鑑賞しにやって来ます。

 私たちがこの日、鑑賞したのは「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)渡し場の段」・・・「清姫が安珍を追って道成寺へ向かう途中、日高川にて・・・」という有名な話です。

 文楽が始まると太夫の語りと三味線の響き、そして人形の動きの迫力に終始圧倒されて物語の世界に引きこまれました。上演中は撮影禁止ですが、終了後、2人は「清和文楽人形芝居保存会」の方から人形の動かし方を学ぶことができました。


 人形遣いは一体の人形を3人で遣いますが、内野さんと田中くんは、それぞれ主遣い(おもづかい・人形の頭と右手を遣う)と左遣い(ひだりづかい・人形の左手を遣う)に挑戦・・・・・・なかなかうまく遣えません。人形をうまく遣うことができるようになるには長い修行期間が必要だそうです。



 さて、人形遣いを学んだ後、2人が保存会の方から勧められて向かった先は、文楽館から歩いて10分ほどの鎮守の杜の中・・・「大川阿蘇神社」です。


 神社の境内には、「農村舞台」がありました。


 「農村舞台」とは、村芝居を上演する場所です。「農村舞台」は、田楽や猿楽など農村生活の中から生まれてきた芸能や祭祀と共にあり、江戸中期から昭和初期にかけて日本各地に多数存在していましたが時代が下るにつれて共同体的な生活の衰退とともに消滅していきました。

(昭和28年建築の比較的新しい舞台・平成17年に国の登録有形文化財となった。)

 しかし、ここ山都町(旧清和村)では、農家の人々が境内で奉納芝居として文楽を上演したり各地の行事に招かれたりして農村舞台と文楽を伝承してきました。

(奉納の時は、この舞台で文楽が上演され木々のざわめきや鳥の鳴き声さえも文楽と一体になる。)

 『清和文楽物語ムラの地活力』(兼瀬哲治著)によると、1992年には文楽の伝承と地域の活性化を目的に「清和文楽館」という専用劇場を建設し、その後、農産物の直売所である「物産館」や郷土料理を味わうことができる「郷土料理館」、そして「天文台」を建て、現在、年間2億円以上の地域経済を生んでいるそうです。


「農村舞台」は、歴史の授業でも全くふれられることがなく日本史から忘れさられた存在ですが、地域の共同財として地元の人たちが「集う場」であり、諸国を巡回する旅芸能の人々とも交流しながら生活や労働を芸術の域にまで高めていった、いわば「文化を生産し消費する場」でした。

 私たちが文楽を鑑賞した清和文楽邑は、文楽という地域の資源を農家の人たちが伝承し育みながら、現代風に「農村舞台」の形をかえて「農村文化と地域経済を生み出す村の中心舞台」として成り立っていました。

 文楽という伝統芸能と農村舞台の長い歴史に接しながら、文化と経済の関係を肌で感じたまちづくり探検隊の散策でした。
 
 「清和文楽人形芝居保存会」の皆さん、ありがとうございました。内野さん、田中くん、散策ご苦労さまでした。


(報告 地域づくり 文化経済 まちづくり探検隊 藤崎)

まち探・白壁の歴史を活用する町

2009年5月21日 (木曜日) 22:12 | 投稿者:【community

 今回のまちづくり探検隊は、福岡県うきは市吉井町にお邪魔しました。吉井町は、かつて有馬藩城下町の久留米と天領日田とを結ぶ豊後街道の宿場町があった場所です。
 
 今も白壁の町家や土蔵が数多く残っており、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。
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 観光産業の形態や資源活用のあり方を研究している呉屋さん(08年卒業)とコミュニティ開発や地域内の相互扶助のあり方を研究している宮城さん(08年卒業)に、この白壁の町を散策してもらいました。


 2人が最初に踏み込んだ場所は「居蔵の館(いぐらのやかた)」です。明治末期の建築で土蔵造りの居宅です。町が管理し広く見学者に公開していました。


 2人は、ここで「うきは鳴子獅子」に挑戦!!


 イベント・スタンプラリーにも挑戦しながら散策してみました。


 宿場町として栄えた吉井の町では、商人たちが金融活動を古くから行っており、大きな富が蓄積されて発展しましたが、何度も大火に見舞われるうちにしだいに家屋は耐火性のある土蔵造りの構えに変わっていきました。


保存するだけではなく、実際に家屋や店舗として利用されています。


白壁に見える鏝絵は、富の象徴です。職人のきめ細かい技もみてとれます。


 さて、2人は、ある海産商家で婦人会の人たちが作るおいしい食事をいただいた後、町の地域づくりへの取り組み話を聞くことができました。


町では、季節ごとに白壁の土蔵を活用した歴史、文化、芸術に関連したイベントを実施して地域外の人たちへも町の魅力を少しずつ体験していただいているということでした。

 そう言えば、こちらの大きな土蔵は・・・中をギャラリーに改装して、若手の芸術家に作品発表の場を提供しています。


国道からはずれた小さな路地でも作品が展示されています。


こちらは、蔵の中で骨董品展・・・
 

町の人やお店の人たちと話しをしているうちに、白壁の町の魅力に魅せられて町に住み、自分の店を出した人や白壁の土蔵ではないけれども住宅を景観に合わせて改装した人たちがいることも知ることができました。


 日が暮れてくると町は、白壁と店舗の光で味わい深い雰囲気を醸し出します。


 単に歴史的な資源を保存するだけではなく日常の生活に活かしていくことで静かに地域が創られていくことがわかったまちづくり探検隊の散策でした。

 お話を聞かせて下さった町の皆さん、ありがとうございました。呉屋さん、宮城さん、散策ご苦労さまでした。


(報告 地域づくり 文化経済 まちづくり探検隊 藤崎)


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