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経済政策学科

【学外ゼミ】普賢岳スクラップブックの誕生/全97冊の製作秘話 [No.1]

  • 2024.03.6
  • 経済政策学科

 さる2月27日、長崎県立図書館の「郷土資料センター」において、ある話し合いの場が設けられました。題して「川原和博先生 懇話会 (こんわかい) 」。

 現在、活水高等学校・活水中学校で理科の授業をおこなっている川原和博 (かわはら・かずひろ) 先生。今回は、かつて製作されたスクラップブックについてお話をしていただきました。

 このスクラップブックは、1990年に始まった雲仙・普賢岳の噴火報道を7年半にわたってまとめたもの。いずれも現物の記事で、カラー記事あり。そして公立の図書館に収められているため、市民がいつでも利用できる。このように、全国を見回しても他にはない貴重な資料です。

 その製作にあたっては様々な経緯がありました。噴火災害の行く末に胸を痛めた地質学者の顔も見えてきます。学生たちがその素顔に迫ります。

 

当時を振り返る川原先生

 

 この日、郷土資料センターに集まったのは9名の大学1年生。いずれも鎮西学院大学の吉田ゼミに所属しています。この場に川原先生を招き、お話をうかがうことになりました。

 話の発端は、2023年の9月ころ、郷土資料センターで文献資料を探していた時のこと。同センターの指導主事である山口保彦先生からスクラップブックの存在を教わりました。以来、ゼミ活動を通じて記事の撮影をおこない、リスト作りを進めています。

 このスクラップブックはなんと全部で97冊にのぼります。今年度は10冊をデータ化するのがやっとでした。これだけのスクラップブックを作ったのは、どんな先生なのだろうか。こんな疑問が浮かんだため、郷土資料センターの関係者を通じて川原先生にご相談し、今回の機会を設けてもらったのです。

 

撮影をおこなう様子

※写るのは「最大の火砕流 民家炎上」の記事(朝日新聞 1991.06.09)

 

膨大な冊数のスクラップブック

※1998年以来の所蔵内容(全97冊)のうち1冊目から40冊目まで

 

 最初は緊張する学生たち。しかし、事前に準備したリストに沿って質問をしていきます。大学院ではどのような勉強をされたのでしょう? 最初に普賢岳噴火の報道に接したのはいつ? スクラップブックづくりを始めたきっかけは? 

 お聞きしていくと、先生は大学院で地質の調査をもとに火砕流 (かさいりゅう) の研究をおこないました。1978年に理学修士の学位を取得しています。1990年11月17日、噴火の活動が始まった当時は対馬高校に在籍。1991年4月に長崎南高校に赴任したあとの6月3日、大火砕流が発生し、おびただしい死者が出たという報道に接しました。

 先生はこのとき、後悔したことがあるといいます。それは、一人の地質学者としてあらかじめ世間に「火砕流」の恐ろしさを伝えたかった、ということ。それ以来、高校の教員としてできることを考えました。そのような中で先輩の教員から助言を受け、同校にあった新聞を活用してスクラップブックづくりに取りかかったそうです。このような経緯をお聞きして、学生たちもこの資料の重みを感じ取りました。

 その一方で、川原先生は筋金入りの「お笑い」派。真剣なお話の端々に、ダジャレおよびジョークが飛び出します。1998年4月に長崎西高校へ異動したため、のちに97冊のスクラップブックを図書館に寄贈しましたが、その理由はなんと「高校に置いておくとスクラップブックがスクラップ (廃棄物) になっちゃうから」(!)。こうしたサービス精神のおかげで、笑いの絶えない懇話会となりました。

 

質問に答えていく川原先生

記事の画像データを背景に

※モニターに映るのは「火砕流 到達範囲拡大」の記事(朝日新聞 1991.06.05)

 

一同、大笑いの場面

 

 このように、スクラップブックは研究者としての専門知識と高校教員としての立場、そして川原先生ご自身の思いによって誕生しました。それでは、この成果を引き継ぐためには何ができるでしょうか。はたして、大学生たちの役割とは。討論の内容を後半の記事で紹介します。